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フラリーマンは「公私」の間を求めているのだと思う

駒鳥です。

「フラリーマン」と呼ばれる人がいるそうです。

男たちがまっすぐ帰らない理由|けさのクローズアップ|NHK おはよう日本

フラリーマンとは何かというと要するに、
特別なことをするわけではないが、ふらふらと寄り道をして、ちょっとした自分の時間を過ごしてから家に帰る人たちなようです。

ツイッターでも話題になりました。

確かに怒る人はいそうですよねえ。

この記事ベースだと、女性のほうが大変という意見や、そんな時間取れないんですけど、みたいな話が多く出てくるような気はします。

一人、何をするでもなく息をつく時間

さて、僕は未婚なので、夫婦のコミュニケーションみたいな話になると肌感覚での理解ができません。
だから、ここでジェンダー論とか、男女の対等とかについて書く気はないのですが、読んでいてふと思ったことを。

最近、一人でずっと家にいるのであれば、近くのカフェへ出かけて時間を過ごすことがあります。

もともとカフェ、コーヒーが好きなので、

おいしいコーヒーを飲みに行きたい!
いい感じのカフェでのんびりしたい!

と思い立って家を出ることはあります。
ですがそれとは別に、

まあ近場のチェーンでいいからふらっとするか

と思って出かけることもあります。
そういう時は、ブログのエントリを書いたり、本を読んだりすることもあれば、何というわけでもなくずっとスマホを触ってぼんやりすることもあります。

ぼんやりと時間を過ごすと、なんだかもったいないな、と思うこともあります。
でも同時に、精神的にはリフレッシュできているなと感じるのです。

後者の感覚は、記事の中で紹介されるフラリーマンに近いのかもしれません。
(ところで「フラリーマン」というのもなんだかダサいネーミングな気がしますが…まあ置いておきましょう)

「公」でも「私」でもない中間

このふらっとした感覚を言葉にしてみると、
「公」でも「私」でもない中間の場所、中間の時間を求めている
ということなんじゃないかと思います。

考え事をする訳でもなく、必死に何か努力する訳でもない。
人目はあるけど、気にする必要は無い。
一見意味も無いし無駄に見えるけれど、このどっちつかずな時間が、よい息抜きとなる。

「公」はもちろん、「私」の時間も、100%休まる時間であるとは限らない。
やること考えることは多くて、息が詰まりそうになることもある。

だから「公」と「私」の間のリフレッシュできる時間が欲しくなるんだと思います。

こういった時間を意識的にとること。
自分も周りもそれが許容できると良いですよね。

それでは。

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