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The Last Of Us Part2(ラストオブアス2)クリア後の考察と感想

フォトモードで撮影したエリー ゲーム

駒鳥です。

The Last Of Us Part2、クリアしました。
すごいゲームだった。開発陣が語る通り、とても挑戦的なゲームだった、と思います。

この記事では、ラスアス2をクリアした方向けに、内容についての考察や、感想を書いていきたいと思います。
ネタバレのオンパレードですので、まだクリアしていない方は回れ右してください!

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発売前のミスリードについて

発売前のあらすじでは、「ある凄惨な出来事を経て、エリーが復讐の旅に出る」という内容の記載があります。
僕はこの「凄惨な出来事」は、ディーナが何らかの理由で殺される、という話なのかな、と何となく思っていました。

というか、製作陣はそう思わせるようにミスリードをかけてきていると思います。
ジョエルの死、というあまりにも衝撃的な出来事を予想させず、発売後のインパクトをより強いものにするために。

というかこれ見たら誰だってディーナが殺されたと思うでしょう。

けど、今振り返ってみると、エリーが最後に持っているリボルバーはジョエルのものだから一応、ありっちゃありなのかな笑

アビーに課せられたテーマは「相手に対する理解」

ジョエルを殺し、エリーの復習の対象として描かれるアビー。
一貫して敵として描かれるのかと思いきや、途中からアビー編が始まり、彼女のバックボーンに触れていくことになります。

この、アビーの過去や現在の状況を描いていることについては、賛否が大きく別れているようです。

一部過激なプレイヤー、ファンとは呼べない人たちが、アビー役の女優さんやノーティドッグに対して誹謗中傷、脅迫まがいのコメントを送っている、という良くない状況です。
語るまでもないですが、役者さんは何も悪くないですね。こういうのは本当に良くない。

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「善人は悪人よりはるかに多いと常に信じています。それを思い出させてくれてありがとうございます」

さて、ここまで良くも悪くも話題になってしまったアビーについて、制作陣は以下のようにコメントしています

プレイヤーが必ずしも(アビーを)好きになるかどうかはわかりません。そうなってほしいと思っていますが、問題は『プレイヤーに彼らを理解させることができるか?』です。

引用元↓
https://automaton-media.com/articles/newsjp/20200626-128812/

アビーに課せられたテーマは、「相手に対する理解」なのだと思います。

アビー編を通して、アビーが何故ジョエルに復讐をしたのか、その動機が明らかになります。
また、その後のWLFのメンバー達の罪の意識についても語られます。
シアトル一日目にオーウェンが語った、「もううんざり」という言葉にも現れていますね。

一見するとこれらは単に、「暴力、復讐は連鎖するもの」というメッセージであるように思えます。
その要素ももちろんあるとは思うのですが、制作陣がプレイヤーに本当に問いかけたかったのはそこではなく、「あなたはこのアビーの行動を、理解できますか?」ということなのだと思います。

実はこれは、本作の冒頭にも提示されているのではないかと考えています。

ジョエルが、前作終盤の出来事…ファイアフライの病院からエリーを連れ出したことをトミーに告白したときです。
トミーは、「俺でもそうする」とジョエルに理解を示しています。
個人的には、トミーのこの素直な反応は少し意外に感じました。どちらかというとトミーの正義は、ワクチンを作る、というところに近い気がしていたので。

それはさておき、この「俺でもそうする」を、プレイヤーがアビーに対しても思うことができるかどうか、というのが制作陣が投げかける問だと思います。

あなたがアビーの立場だったら、どうしますか?

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前作から引き継がれる「正義」というテーマ

前作をプレイしたプレイヤーであれば、ジョエルとエリー、この二人とその関係性は特別なものだと感じている人が多いはずです。
自分もそうです。

その視点から見ると、アビーは許せない存在です。

しかしアビーにも当然バックボーンがあり、そこに至るまでの経緯が存在します。

アビー達、元ファイアフライメンバーのジョエルに対する行為は彼らにとって、一つの正義と認識されています。
これは、アビー達が復讐のために旅立つことを許可したアイザックも同様に認識しているようです。(オーウェンを説得するアビーのセリフより)

前作をプレイしているプレイヤー目線で見れば、ジョエルとエリーの関係性、彼らの前作での旅路が正義だと思います。
しかし、その正義に対する立場、アビー達もまた正義であるのです。

これは前作でも提示されていたテーマではあります。
前作に登場したハンター達や、人食いたちのコミュニティも、今作のWLFやスカーも、純粋な悪ではなく、自分たちの生存のため、自分たちの正義のために活動しています。
唯一、本作終盤に出てくるラトラーズは例外として描かれている気がしますが。

正義の反対は悪ではなく、また別の正義なのです。
立場が異なるという理由で、一方的に相手を拒絶するのではなく、その背景を理解(しようと)できるかを問われているように感じました。

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復讐の虚しさ

本作でのエリーは、前作のジョエルのように徹頭徹尾、冷徹に復讐を続ける人物としては描かれず、苦悶しながら進み続けるしかないかのように描かれています。
エリーは、エリー自身の善良さ、復讐に対するためらいから、前作のジョエルほど冷徹にはなれなかったのだと思います。
エリーの日記を読むと、なんのための復讐なのかを見失いかけている様子が読み取れます。

ここに復讐そのものの虚しさ、という一つのテーマが現れているように思います。

これは、アビーのエリーに対する態度にも反映されています。
アビーたちの会話からは、既に、ジョエルに対して復讐を完了させた立場として、復讐を果たしてもどこか虚しさが残っている様子が伺えます。
アビーの悪夢にも、変わらずファイアフライの病院が出てきます。つまり、復讐を果たしても、過去の記憶から本当の意味で解放はされていないのです。
だからこそ、(レヴの存在もあって)アビーはエリーとディーナを殺せたのに、殺さなかった。

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「許し」と「やらなければならなかったこと」

フォトモードで撮影したエリー
△フォトモードで撮影したエリー

本作の真の主人公であるエリー。
ジョエルを殺された憎しみから復讐の旅に出たわけですが、エリーの旅を通して描かれたテーマは、本当は「許し」だったのだろう、と感じます。

一度アビーに敗れてからジャクソンを離れ、ディーナやJJと静かに暮らしながらも、ジョエルの死がトラウマとなってしまい、何度もフラッシュバックに苦しんでいたエリー。
痛めつけられたジョエルの姿が度々表示されます。

しかし、サンタバーバラの浜辺でとうとうアビーを追い詰めた際、エリーの脳裏によぎったのは、穏やかにギターを弾くジョエルの姿でした
後にこのシーンでの二人の会話が明らかになります。

エリーは、ジョエルがファイアフライの病院からエリーを連れ出したことを許せない。
けれど、許そうとはしている。

ギターを弾くジョエルのこと、そしておそらくその時の会話を思い出し、エリーはアビーを逃します。

アビーに敗れ、ディーナ、JJと暮らしていた時点で、アビーに対する純粋な復讐心は薄れていたんだと思います。
だからこそ、トミーがアビーの居場所の情報を持ってきても、すぐそこに飛びつくことはしなかった。

エリーにとって、シアトルでの一件のあとの、サンタバーバラへの旅は、ただの復讐ではなく、「やらなければならなかったこと」だったのです。

復讐心が薄れているのに「やらなければならなかった」のは、エリー自身が、トラウマに苦しむ自分と向き合い、ジョエルの死と向き合い、そして許すためだったのかな、と思います。
ジョエルのことを許そうとしたものの、許す前にジョエルは死んでしまった。
それが後悔なのかはわかりませんが、果たせなかった「許し」を果たすために旅立ったのではないかと。

アビーの首にかけた手を離したあの瞬間に許したのはジョエルなのか、その代わりとしてアビーなのかはわかりませんが、少なくとも、ジョエルの死にエリー自身がちゃんと向き合えたんじゃないかと感じました。

サンタバーバラでの出来事を通してエリーはトラウマという闇を脱することができたのではないか、と感じます。
エンディングでギターを置いていったのは、指を失ったというのもあると思いますが、新たに前を向いて生きていく決意の現れだったんじゃないかと思うのです。

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「蛾」が意味するもの

本作には、度々「蛾」がモチーフとして登場します。
ローディング画面、エリーのタトゥー、エリーの日記、エンディングのギター。

この蛾が意味するものは何か。
答えは提示されていないので推測の域を出ませんが、ローディング画面のような、光を求めて飛び回る様子を指しているのではないかと考えています。

アビー編の終盤において、前作のファイアフライも言っていた、「闇の中でこそ光を探せ」という内容のセリフを、アビーが口にします。
このセリフが、蛾のモチーフとリンクしているように感じます。

アビーは、シアトルでの出来事を通して、レヴという光を得ます。
アビーとレヴの関係は、前作のジョエルとエリーを彷彿とさせるようです。
ジョエルがエリーに光を見出したように、アビーもレヴに光を見出したのかもしれません。

エリーが同じように、明確な「光」を見つけられるかはわかりませんが、光を求めて闇雲に飛び回っていた闇からは抜け出せたんじゃないか、と思いたいところです。
また幼虫、繭を経て成長する蛾は、変化、変容というような意味合いで表現されることもあります。
サカナクションの曲「モス」の中でも、繭を割って出てくる、というところが象徴的です。

The Last Of Us Part2、プレイを終えての感想

このゲーム、確かに他のゲームとは違って、かなり挑戦的です。

一般論として、ゲームは敵を倒し、攻略を進めていくことで、達成感や高揚感を得られるようにできています。
けれどこのゲームはそうではなく、進めれば進めるほどどこか虚しく、プレイヤー自身もエリーと同じように、どこかやりきれない気持ちを抱くように設計されているように思います。
アビー編がそれなりのボリュームで、単なる悪人に見えなくなってしまったりするのもその1つ。

また、ストーリーを進めるのはとても苦しくて、続きは気になるけど、素直に楽しいゲームと言えるかというとわからないな、という感想を抱いていました。
一度エンディングを迎えて、素直に「さあ2週目をやるぞ〜」とはならなかった。やるけど。

けどこれがいわゆるクソゲーなのかというと全くそんなことはなくて、とても良いゲームだと思います。
同じようなことを狙って、うまく着地しなかったゲームは多いだろうなと思うのですが、このラスアス2は、全てが緻密に計算された結果、ユーザーとエリーをうまくシンクロさせ、感情をうまく誘導しているように感じます。

やはりゲームというより映画に近いのかもしれません。

このゲーム自体の目的が、ユーザーの望むストーリーを語ることや達成感を得ることではなく、自らの意思でプレイするゲームという媒体を通して、エリーの物語を体験させる、というところにあったんじゃないかなーと感じます。

前作のエンディングは、どこか不透明な部分がありつつも、ジョエルとエリーの絆、愛を感じさせるものだったと思います。
今作は前作と違って、圧倒的に寂しさが残るものの、やはり二人の絆、愛を感じるもの、というところは変わらなかったように思います。

ただそれでも、やはりジョエルの死は辛い。
ジョエルが死んでしまうという展開は正直考えなかったし、エンディングを思い返しても、とても悲しく、喪失感すら感じます。

けれどあのエンディングは、良いものだったと思うんです。
特に、アビーの首に手をかけたエリーが、その瞬間に思い出していたのが、血まみれのジョエルではなく、穏やかな表情のジョエルでよかった、と感じました。

ストーリー自体もとても複雑で、人によってはこの展開は受け入れ難いものだというのももちろんそうなのですが、それも含めて、とても良作だったんじゃないかな、と思います。

さて、、次はGhost Of Tsushimaかな。こちらも楽しみです。
それでは。

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