駒鳥です。
SNSやっていると、そこそこの頻度で、あまり心地よくない発言が目に飛び込んでくることがあります。
その心地よくない発言というのは、まとめてしまうと、
やたらと粗捜しをして、「クソだ」と認定してしまう、
というモノです。
粗捜しをしてしまう人
ある物事を楽しんでいる人に対してわざわざ、
「でもそれって○○な部分があって、それがすごい悪いからクソだわ」
みたいな横槍。
多分見たことあると言う人は多いのではないかと思います。
自分が言われることはあまりないにしろ、人が言われているのをみるだけで、なんだかげんなりしてしまう。
こういう発言って、僕にはどうしても、
「クソだ」と結論づけたいがために無理矢理でも粗捜しをしているように見えてしまうのです。
本人にはそのつもりは無いのかもしれません。
でも、100のうちの10くらいしか問題は無いのに、その10のせいで残りの90もクソ、みたいな言い方している人って意外と多い。
悪いところがどうしても許せいないのであれば、仕方が無いのかもしれないけれど、
でも、「何もそこまで」と思うような発言はちょいちょい見る。
楽しくないでしょう
そういう粗捜しばっかりしていたって、そんなの楽しくないのに、と思います。
色々な物事をクソだと判定している人を見てると、なんだか楽しくなさそうだなって思うことがとても多い。
(なかには、粗捜しして暴言はくのをイキイキと楽しんでる人もいますが。)
全体でみたらそんなに悪いものでもないのに、小さな汚点を気にしすぎると全体が楽しくなくなってしまう。
とってももったいないです。
何事も、気にし過ぎは毒。
「まあそんなもんか」くらいの気持ちで構えている方が、色々なことを楽しめると思います。
そして、自分一人で嫌な気持ちになるのでなく、わざわざ他人にそのマイナスオーラをまき散らしてしまうのもよろしくない。
行き過ぎると、それは暴言、非難、そして呪詛となってしまう。
罵るという行為には副作用もあることを考えた方が。「非難や呪詛を吐き続けている人間は、やがて自分自身の心身や魂にも負債を負うことも、考えに入れておくべきだとも思う」/現代インターネットにおける「呪い」の増幅について – シロクマの屑籠 https://t.co/CBD2Sa9t3m
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) 2017年8月15日
これは本当にその通り。
本当にそのとおりですね。副作用は間違いなくある。ネガティブな発言ばかりしていたって(或いは、見ていたって)ハッピーにはなれなくて、心が疲れていくだけだなと思う https://t.co/N9GBKxLbOd
— 駒鳥 (@5er1n) 2017年8月16日
ネガティブ発信、無意識的にやってしまいがちだけど、気をつけていきたいですよね。
それでは。
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