10歳のYoutuberには、僕はロボットに見えていたかもしれない。

雑記

駒鳥です。
久しぶりに書きます。

すこし前に、10歳のYoutuberが話題になっていたじゃないですか。

「不登校は不幸じゃない」 10歳のユーチューバー、中村逞珂さんが世界に発信

彼の存在はいろんなところで議論を呼び起こしてましたよね。

これらの議論をみながら、自分自身のこれまでを振り返って思うことが少なからずあったわけです。

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「優等生」だった僕はロボットに見えていたのかもしれない

10歳のYoutuber,中村逞珂さん。
活動を始めた経緯は以下のように紹介されています。

ゆたぼんが学校に通わなくなったのは小学校3年生の時。宿題を拒否したところ、放課後や休み時間にさせられ不満を抱いた。担任の言うことを聞く同級生もロボットに見え「俺までロボットになってしまう」と、学校に通わないことを決意した。現在も「学校は行きたい時に行く」というスタイルを貫いている。

この経緯自体も、多くの人の色々な反応を得るきっかけになっているんですが、それについては置いておいて。

これを読んで、「ああ、僕はロボットに見えていたのかもしれないな」と感じたわけです。
そして、それが一瞬悲しかった。

学生時代の僕は、誤解を恐れず言えば「優等生」でした。

学校には真面目に通っていたし、宿題もちゃんとやり、(今思えば)規則正しく勉強を頑張って大学に入った。
そう言えば塾には特に通ってもいなかったので、順当に義務教育、高校教育を履修してきたと言うわけだ。

大学の偏差値は決して悪くはなかったけど、ずば抜けているかと言うとそうではなかった。
何か特別な特技があるわけではなくて、おおよそ満遍なく、そこそここなすと言うタイプ。(多分、今も)

その後も、一度転職をしたものの、仕事を続けていて、いわゆる「一般人」だと思います。

こういう僕のこれまでは、中村逞珂さんから見たら、ロボットの様な、面白くない人生だったんだろうか。

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幸せの形は、自分が決める

見る人からみたら、ロボットの様なつまらない人生かもしれない。
けれど、案外、それはそれで悪くないよ、と思う。

自由であることが必ずしも幸福ではない様に、大多数と同じ様な生き方でも結構楽しかったりする。
結局のところ、一人一人にどんな生き方があっているのかは、他人が決めることではないし、他人に評価される様なことでもない。

最近引っ越したりして、仕事でも役割が変わり、慌ただしくもまあそれなりに愉快に過ごしています。

ネスプレッソの一番安いモデルを買っちゃったので、手軽にカフェラテとか飲める様になりました。
カフェオレじゃなくてカフェラテ。

ここ最近の課題は、いかに時間を作り出すか。
そして家にはなぜかニトリのペンギンがいたりもする。

何が自分にとって、本当に心地よいのか、最終的に自分の中で噛み砕いて、日々過ごせれば良いよな、、と思います。

それでは。

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