駒鳥です。
「フラリーマン」と呼ばれる人がいるそうです。
男たちがまっすぐ帰らない理由|けさのクローズアップ|NHK おはよう日本
フラリーマンとは何かというと要するに、
特別なことをするわけではないが、ふらふらと寄り道をして、ちょっとした自分の時間を過ごしてから家に帰る人たちなようです。
ツイッターでも話題になりました。
これを読んで怒る人もいるような気もするけど、こういう人々の感覚の包摂って大事だなあって個人的には思います。「働き方改革が進む時代、フラリとさまよう時間が男性たちに必要なのかも」/男たちがまっすぐ帰らない理由|NHK おはよう日本 https://t.co/iJtLNhP87o
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) 2017年9月20日
確かに怒る人はいそうですよねえ。
炎上した牛乳石鹸のCMに近い感覚。 理想は「フラリとして帰るね」「いいよ」と言い合えること。難しければ、黙ってフラリとして帰ったら妻に心で「フラリタイムセンキュー」と言う。もちろん、悪いと思わなければ言わなくて良し。いろんな暗黙の了解と前提が混ざり合った正解のない話だよね。 https://t.co/3h6zKzv4Mn
— 川村トモエ (@cd_kawamura) 2017年9月21日
女性も、という声が多いのだけど個人的には性差問わず子供にもフラリとさまよう、つまり自分で考えて行動する事が自由に出来る時間を与えたり訓練させたりした方がいいのではと思った。ゲームでもいい。蟻の観察でもいい。子供はそんなものと思う人が多いだろうけど、案外出来ない。 https://t.co/piGx3FoNDS
— 宇治金時 (@uzikin) 2017年9月21日
男女ともフラりとする時間を意識的にもつことが必要。今はなかなかできませんが、時々、夫に、「この日の晩は羽根伸ばして来たら?」と提案します。自分からは言い出しにくそうだから。帰宅した夫のリフレッシュした顔を見ると、私の気持ちもリフレッシュ。(夫も同じようにしてくれる。ありがたい。) https://t.co/O2jPSJ7Ib2
— じゅらーふ (@mpNF5uSKMKqsMr3) 2017年9月21日
この記事ベースだと、女性のほうが大変という意見や、そんな時間取れないんですけど、みたいな話が多く出てくるような気はします。
一人、何をするでもなく息をつく時間
さて、僕は未婚なので、夫婦のコミュニケーションみたいな話になると肌感覚での理解ができません。
だから、ここでジェンダー論とか、男女の対等とかについて書く気はないのですが、読んでいてふと思ったことを。
最近、一人でずっと家にいるのであれば、近くのカフェへ出かけて時間を過ごすことがあります。
もともとカフェ、コーヒーが好きなので、
おいしいコーヒーを飲みに行きたい!
いい感じのカフェでのんびりしたい!
と思い立って家を出ることはあります。
ですがそれとは別に、
まあ近場のチェーンでいいからふらっとするか
と思って出かけることもあります。
そういう時は、ブログのエントリを書いたり、本を読んだりすることもあれば、何というわけでもなくずっとスマホを触ってぼんやりすることもあります。
ぼんやりと時間を過ごすと、なんだかもったいないな、と思うこともあります。
でも同時に、精神的にはリフレッシュできているなと感じるのです。
後者の感覚は、記事の中で紹介されるフラリーマンに近いのかもしれません。
(ところで「フラリーマン」というのもなんだかダサいネーミングな気がしますが…まあ置いておきましょう)
「公」でも「私」でもない中間
このふらっとした感覚を言葉にしてみると、
「公」でも「私」でもない中間の場所、中間の時間を求めている
ということなんじゃないかと思います。
考え事をする訳でもなく、必死に何か努力する訳でもない。
人目はあるけど、気にする必要は無い。
一見意味も無いし無駄に見えるけれど、このどっちつかずな時間が、よい息抜きとなる。
「公」はもちろん、「私」の時間も、100%休まる時間であるとは限らない。
やること考えることは多くて、息が詰まりそうになることもある。
だから「公」と「私」の間のリフレッシュできる時間が欲しくなるんだと思います。
リプで男女の対立に持っていかれる地獄。お互いが少しずつ隙間を許容できるよう協力すればいいじゃん。なぜ妻側の発言は私が苦しいからお前も苦しめ系が幅をきかせるのか(´・ω・`) https://t.co/ms8rAacJcl
— ゆ◯と@しろがねさん (@whitebellsweet) 2017年9月22日
こういった時間を意識的にとること。
自分も周りもそれが許容できると良いですよね。
それでは。
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