駒鳥です。
起業家の家入一真さん。
TwitterでSarahahのURLを公開し、質問やらお悩み相談やらを受け付けていたそうで、いくつか回答をtweetされていました。
答えたり答えなかったりします → https://t.co/iDWXvzJl5d
— 家入 一真 Kazuma Ieiri (@hbkr) 2017年11月23日
その中の回答に、とても共感できる、素敵な回答がありました。
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早速、そのツイートがこちら。
CAMPFIREでは僕や役員も含め会社を別で持ってたり、複数の会社やNPO、プロジェクトに関わってる個人がたくさん働いてます。個人の時代とは、複数の組織やプロジェクトと緩やかに関わりながら、グラデーションのように働く・生きる、ということだと思ってます。そうありたいし、そういう組織でありたい pic.twitter.com/xY0V0uHhBU
— 家入 一真 Kazuma Ieiri (@hbkr) 2017年11月23日
補足すると、個人の時代とは、一人で独立して強く生きるということではなく、いざという時に支えてあげられる、支えてもらえる、緩やかな関係をいかに作るか、ということこそが本質だと思っています。僕らはそれを小さな経済圏と呼んでいます。 https://t.co/IKkJInL4xb
— 家入 一真 Kazuma Ieiri (@hbkr) 2017年11月23日
「個人=孤独の時代」は、しんどいよね
「個人の時代」って言い方が登場して、しばらく経ちます。
これは、インターネット、SNS、クラウドソーシングが浸透してきて、個人=フリーランスでの活動が容易になった、というのが背景にあります。
一般的に「個人の時代」と言われたときにイメージするのはこの、「個人=フリーランス」という考え方なのかな思います。
フリーランスのように会社(組織)に所属しない人、もしくは自分で起業する人、とかそういうの。
でもこの考え方、なんだかとっても冷たいものだなーと、思うんです。
なぜかと言うと、「個人≒孤独」みたいなイメージが強いと思うから。
一人であることって、とても大変なことです。
確かに自由ではあるけど、全ての責任が自分にかえってくる。
フリーランスは自由でサイコー!
みたいな広告もたまに見ますが、仕事の管理や税金の管理はもちろん、何から何まで自分でやる必要があります。
そういう、何でも自分でできる人しか生き残れない、というのは酷な話です。
だから、フリーランスから会社員に戻る、みたいな選択肢もあるみたいです。
参考記事:僕がフリーランスから会社員に戻った3つの理由 —— 働き方シフト[フリーランス編]
ちなみに、自由であることは、結構大変だよ、と言う話は、佐々木俊尚さんの「21世紀の自由論」でも語られていました。
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個人の時代=たった一人で戦うことではない
では結局、個人の時代とは何なのか。
僕は、個人が流動的に生きることができる時代、なんじゃないかと思います。
SNSを使えば、個人と個人、もしくは個人と組織が、簡単に且つゆるやかに繋がることができる。
だから冒頭のツイートで家入さんが語られているように、「複数の組織やプロジェクトと緩やかに関わりながら、グラデーションのように働く・生きる」ことが可能なのだと思います。
この考え方とても好きです。
「個人の時代=1人で戦うこと」ではない、とずっと思ってたので共感。
どちらかというと、組織し縛られない、ということなのかなあと。 https://t.co/tL74TsZwL0— 駒鳥 (@5er1n) 2017年11月23日
組織に縛られることなく、緩やかに外部と繋がることが大切なのだろうなと思います。
それでは。
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