データが語るもの

雑記

駒鳥です。

昨日、会社で使っている名刺が切れそうになってきたのに気がつきました。
早速新しい名刺を作ろうと申請画面を開き、ふと、

「そういえば、これまで肩書きなかったけど、どうしようか」

特に役職を持っている訳ではないんですが、そういう人でも何かしらの肩書きを名刺に書いていたりします。
せっかくだから自分も何か書いておきたい。
まあ、「○○担当エンジニア」とか、そういう感じだろうなーと想像しつつ、周りに相談をしてみると、

「データなんとか、みたいなやつとかなんじゃない?」

とのアドバイスをいただきました。
確かに、社内でも比較的ビックデータ(社内で溜め込んだ大量のログ)の管理を部分的にしています。
ついでに集計や簡単な分析、可視化も行っています。

その後色々と調べてみたり、相談したりした結果、
「データマイニングエンジニア」
という肩書きで落ち着きそう、という状況です。

ちょっと大げさなのでは・・・自分そこまですごいことができている自身もないんだけど・・・

とは思いつつ、若干ノリで肩書きを決めている人も少なくない気はする。。。
ので、まあひとまずはいいか、と考えています。

データ分析手法とか、もっと学んで実践していけばいいのだしね。

データに何を語らせるか

データを触っていて特に思うのは、
「データが何を語るかではなく、データにどう語らせるか」
に視点がいきがちだな、というモノです。

データってものすごく難しいです。
ある角度から見るとAなんだけど違う角度から見ると本当はFあたりだと思ったらどうやら実際はQらしい。
みたいなことが頻繁に起こりえます。
(我ながらすごい例えですが笑)

基本的にデータが示すのは事実です。
過去に起ったことの記録。
ある事象が起きた時刻や回数など。

ただ、それが指し示している真実は、見る人によって歪みうることが多々あります。
言い方を変えると、データの見方を調整することで、都合の良い真実を導きだすことも可能である、と思っています。

データを見るのも扱うのも、気をつけないと、間違った真実を見せつけられてしまう、という事態になりかねません。
どうやってデータと向き合うのかは今後学んでいきたいなあ、と思う次第です。

それでは。

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