自分ではどうにもならないステータスについて

雑記

駒鳥です。

ブログですが、サーバーの契約を更新しました!
最終的にどういう形に成長していけるのかまだ見えていないのですが、もう少し今の形で続けてみようかと思います。

さて、先日、こんなツイートをしました。

佐々木俊尚さんが、安倍首相に対する家柄などちょっと理不尽な批判に対して色々コメントされていて、それを見てふと思ったことをツイートしたものです。

リツイートやいいねがおおかったので、同じように考えている人は多いのかな、と思います。

佐々木さんが取り上げていたような、政治家だったり、芸能人だったりというレベルで、その人のステータスに起因する批判はよく見かけます。
それと同じくらい「そういう批判は良くない」というのも見かけます。

でも、人をステータスで見て、判断してしまうこと自体はもっと身近に起こりうるものだな、と感じています。

どうにもならないステータス

人に対するステータスも色々あるとは思いますが、中には、「その人にはどうしようもない」ステータスもいくつかあります。

例えば出身地。
福島出身の人が、原発事故関連での差別を受けたりする例はよく聞きます。
これは、出身地という、変えようの無いステータスに起因する理不尽な差別・批判だったりします。

それ以外にも、「あの人は家族がどうだから」「あの人の国籍はどうだから」といった批判って、実は全く珍しいものではない。
日常にあふれているし、本当によく耳にします。

そして自分自身、言われたこともあります。

本当にぽろっと、口から出てしまった感じでしたが。
まあ何とは言わないのですが。。。

一度言われるとなかなか忘れないものです。
そして、自分ではどうにもならないが故に、それを後ろめたく思ってしまったりするものです。

自分はどうする

後ろめたいような思いに対しては、自分の中でどうにか折り合いを付けていくしかありません。
結局大事なのは、自分はどうするのか、どうしたいのか、という点。

ステータスで理不尽に人を判断してしまう人もいますが、逆に、ちゃんと一人一人と向き合える人もいます。
後者のような人との縁はやはり大切にしつつ、あくまで自分を生きることが大切なのだよな、と感じます。

それでは。

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