人の気持ちや立場を勝手に代弁しないこと

雑記

駒鳥です。

読んでいてなんだか切ないなあと感じた記事があるので紹介します。
もう住めないといわれた村で 夫婦は「汚染木」をログハウスにかえた

当事者の気持ちは当事者にのみわかる

印象的だったのは、やはり以下の言葉。

「私たちはただただ、生活を取り戻そうとしただけで、安全キャンペーンにも、帰還のシンボルにもなろうとしたわけじゃないんですよ」

当事者である彼らは、地に足のついた自分たちの生活をしている。
それを、周りの人が自分たちの主張を述べるために、いいように解釈して使っている、という現状があるんでしょうか。
だとしたらなんだか悲しいなあ。

記事を読むと、当事者たちの遣り切れない想いとか、いろいろな感情があった結果たどり着いたログハウスなんだなあと思います。
当然この記事が全てなわけもなくて、書ききれないほどの出来事があったんだろうと察します。

それらの出来事の前には、非当事者がいろんなことを言っても説得力がないな・・と感じてしまいます。

すごく当たり前なことですが、当事者の気持ちって当事者にしかわからないよな、と。

周りの人が、「この人の気持ちになって考える」っていうのは、押し付けがましく感じる。
たいていの場合、本当の当事者の気持ちはわからず、勝手な代弁に終わってしまうんじゃないかと思います。

当事者の思っている通りのことを言えたとしても、それはできれば本人が言った方がよかったりするよね、って言うこともありそう。

「かわいそう」という言葉について

ちょっと似た話で、「かわいそう」、という言葉について思うことがあります。

例えば災難にあっていたり、つらい想いをしている人に対して、つい「かわいそう」っていいたくなることはあると思います。
でも、実際に「かわいそう」と言い切ってしまうのはすごく残酷だな、と。

「あなたはかわいそうな人なんですよ」という宣告のような気がして。

言われた本人は必死に前向きにあがいているところかもしれないのに、「かわいそう」と言われる。
そっちの方がよほど堪えるように思います。

なんにもわかってないくせに、と感じるかもしれません。

なので、自分はこの言葉はあんまり使わないようにしています。

それでは。

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