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簡単に拡散できてしまう怖さ

駒鳥です。

3月がいよいよ終わろうとしています。
今年はちょっと寒い気がするのですが、それでも各地で、卒業式が行われているようです。

関連して、こんな記事がありました。
東大卒業式の式辞が深いと話題に「善意のコピペや無自覚なリツイートは……」(全文)

オチと言っていいのか、最後まで面白くて読んでしまいました。

善意も悪意もなく情報は広がってしまう

このスピーチの中でも触れられているとおり。
SNSだけでなく、既存のマスメディアの報道であっても、嘘や誇張された情報はあふれていると思います。

スピーチに出てくる「痩せたソクラテス」の話はサンプルケースとしてとても面白いですね。

twitterのようなSNSの登場で、情報の拡散の流れは爆発的に速くなっていて、当然、嘘や誤った情報・解釈の広がりも爆発的になっています。

でも、そうやって広がる謝った情報の大半は、決して悪意で広められているものではない、、と言う気がします。
むしろ大半は善意によるものなんでしょう。
もちろん、明確な悪意をもってある情報を広めようとする人もいるのだと思いますが。

善意なのか悪意なのかというのはあまり関係ないというか、重要じゃないというか。
むしろ、そんなことを考えなくても簡単に、誰でも情報の拡散ができる状態にあるという認識が必要なのだろうと思いま

リツイートも、自分の発する言葉

twitterをしていて、自分の知人が明らかにおかしい情報を拡散していることがありました。
その人に取っては、「これをみんなに知らせてあげよう」という気持ちなんでしょうね。

それは一つの善意なんでしょう。
けれど間違った情報だった。
本人も、さらにその情報を受け取った人が踊らされてしまうのは悲しいものだなと。

しかし、当時の自分がすぐに「この情報はおかしい」と気づけたように、よく考えれば嘘だとわかったんじゃないかとは思います。
拡散する前に、一瞬でも「これ本当なんだろうか」と思えていたら、違ったのかもしれません。

SNS・・・特にtwitterでは、リツイート機能を使うことで、情報の伝達は驚くほど簡単に行えます。
facebookのシェアもですね。

個人的には、簡単にできるリツイートであっても、それは自分が発する言葉と変わらない、と思っています。
本質的には伝聞で伝えているだけですし。

人に教えてあげる前に、ある程度情報が信頼できるものであると自分の中で担保してあげる。
その意識があるだけで、間違った情報の拡散は結構防げるんじゃ無いかと思う訳です。

これも立派な情報リテラシーの一つであろうと思います。

それでは。

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