アウトプットがないインプットは意味がないと思う。

雑記

駒鳥です。

少し前にTwitterでも書いたのですが、今年の自分の目標として、「よく学び、よく考え、よく発信する」というのを設定しています。
このサイトも、この「よく考え、よく発信する」というところを実現するためのツールにしよう、と始めたものです。

この「発信」というのが、意識をしないとなかなか難しいなーと感じます。
そして、よく学ぶ=インプットするというは、目標だったりでよく耳にしますし、多分そんなに難しくない。
でも単純にインプットだけで満足してしまうのは、非常にもったいないんじゃないかと思います。

インプットを目的にしてしまうと何も生まれない

インプットが目的になる・・・というのは例えば、「1ヶ月で○冊の本を読んで勉強する」とか、「毎日情報収集する」とかっていうのが、インプットが目的になっている例だと思います。
でもここで完結してしまうと、結局自分自身として何も変われていないですよね、
黙っているだけだったら、何冊も本を読む人もそうでない人も、端から見たら同じです。

インプットしたことについて思考して、自分の言葉で周りの人に発信するようになって初めて、インプットしたことの価値が生まれるんだと思います。
つまりアウトプットがないと、インプットをしていないのと同じなんじゃないかと。

余談ですが、例えば資格試験とか、入試のための勉強とかでもアウトプットを意識すると理解度が格段にアップします。
本当に理解していないと、自分で口に出して説明できないですしね。

個人のアウトプットが注目されている

アウトプットそのものが重要だと感じる理由に、「個人としてのアウトプットが注目されるようになっている」と感じる点があります。
例えば、最近のメディアでは、ライターの名前は公開されているため、「この人の記事は面白い、ためになる」という判断をされる場合があります。
以前は「このメディア・会社の記事は面白い、ためになる」だったようですが。

エンジニアとしてもそうで、オープンソースに個人としてコミットしたり、githubで個人の作ったプロダクトを公開できたりします。
これは、IT業界の人材の流動化というところにも繋がっています。

twitterやfacebookでの一つ一つの発言もアウトプットです。
これらのメディア上での発言で、「この人はどういう人なんだろう」と判断されます。

今、個人が発信をしているかどうか、そしてどんな発信をしているのかがよく見られている時代だと思います。
個人の発信をしっかりとできる、ということの価値が高まっているということですね。
もちろんリスクでもありますが。。

あんまり自分の考えをまとめて、発信するというのが得意ではなかったので、今のこのサイトを良い練習の機会にしていきたいところです。

それでは。

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