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【プレイ感想・考察Part1】デス・ストランディングは現代のSNS、オンライン社会に対するカウンターとなるか

ゲーム

駒鳥です。
遂に、待望の小島秀夫監督最新作、デス・ストランディングが発売されました。

ダウンロード購入して、発売日0:00からプレイする、というなんともエモい体験をさせていただきました。

進行はまだまだ、ゆっくりと進めています。船から降りた辺りです。

新しいジャンル、ストランドゲームとして世に出たこのデス・ストランディング。
デス・ストランディングという現象によってクレーターだらけになったアメリカを、配送人として行き来しながら、人と人を繋いでいくゲーム。

現代社会に対するカウンターと思われる要素、表現も非常に多く登場する、小島監督らしく教養に満ち溢れたゲームです。
今回は、まだ途中までのプレイですが、遊んで感じたことをまとめてみようと思います。

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直接繋がるネットに対して、間接的に人と繋がるデスストランディング

デスストランディングでは、オンライン要素によってプレイヤー同士が間接的につながる仕組みが採用されています。
このバランスが本当に絶妙だな、と感じます。

基本的には、プレイを進めることで、すでに通過したエリアの中で他のプレイヤーの痕跡が見えるようになります。
誰かが崖を降りるのに使ったロープを自分も使えたり、逆に自分の建てた橋が誰かの助けになったり。
他プレイヤーの痕跡をたどると相手に「いいね」が送られるだけで、マイナスの評価をつけたり、文字や言葉で評価を残すことはできない。

ただ「いいね」だけが相手に伝わる。

繋がっていないようで繋がっている、この感覚は、直接人と人が繋がるTwitterなどのSNS、更にはネットに対するカウンターであると捉えられる、と思います。

実際、小島監督はインタビューで現代のネットでのつながりについて触れています。

オンラインって、世界中の人が直接的につながりますよね。
それで、匿名なのをいいことに、他人を心ない言葉で傷つけても何とも思わない人たちがいる。
ゲームにしても、ネットにつながって何をするのかというと、銃で撃ち合ったりしているわけです。
テクノロジーの進化によって世界中がリアルタイムでつながっているのに、何でそんなことばっかりしてんの……というのもあって。
ネットに疲弊している人って、けっこういるじゃないですか。

『デス・ストランディング』は他者と距離を置くことで人にやさしくなれるゲーム。小島秀夫監督インタビュー

また主人公、ノーマン・リーダス演じるサムも、この件に触れています。

「ネットが世界を覆い尽くしても、争いは耐えなかった」

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強すぎる繋がりが、人を不幸にしてしまう現代のオンライン社会

現代のネット環境は、ユビキタスという言葉が流行ったのももはや過去と言えるほど、常時接続によって人と人の結びつきがとても強い環境であると言えます。
強すぎるつながりは負担となりうるし、「誰でもいつでも直接繋がれる」という事実が突然襲いかかってくる状況も起こります。

炎上や誹謗中傷は、こうした現象の最たるもの。
こうなってしまうと、もう繋がりを絶つか、徹底的に戦うしかなくなってしまう。

外部リンク:ツイッターに起きている「騒がしい街宣車効果」 “極端な人たち”をミュートすべきかブロックすべきか

デス・ストランディングのプレイ画像1

こうした状況が起きてしまう技術的な背景として、常時接続によるオンライン環境が当たり前の社会になったという点が挙げられます。
環境の変化によって人々の行動も変わり、それが新たな問題を生み出している状況です。

外部リンク:休日や深夜に上司からメール これってパワハラなの

強く、より密につながることができてしまうことで、かえって不幸になってしまう、というケースが、現代には多いように感じます。

必死に繋がろうとしてくるBTは、私達の側面の一つか

デス・ストランディングの世界には、BTという亡霊のような存在が漂っています。
虚ろな様子でさまよい、こちらに気がつくと近づいてきて、複数体でサムの足元にしがみつき、どこかへひきづり込もうとします

BTに喰われると、対消滅(ヴォイドアウト)と呼ばれる現象、都市が1つ消滅してしまうほどの大爆発が起こります。

少なくとも今僕がプレイしている範囲では、このBTは正体不明の恐ろしい怪物です。

ですが、デス・ストランディングという、ストランドゲームと現代のオンライン環境との対照を考えてみると。
このBTという存在は、必ずしも得体の知れない怪物ではなく、私たちの側面の1つを写した存在と考えられるのではないかと思うのです。

レフン監督演じるハートマンとサムのやり取りの中で、BTは繋がるために手をさしのばしてくるのではないか、という考察が登場します。

サムに対して必死にしがみつき、繋がろうとしてくるBTの姿は、ネット、SNSの上で強く人と繋がり、炎上や誹謗中傷と言った過激な行動をするユーザーに重なるものがあるように感じます。
そしてそれに喰われると大爆発を起こして死んでしまう、というのも、それに巻き込まれた人の悲惨な運命を暗喩しているような気さえする。

中には一度ブロックした相手のツイートをわざわざ覗きにきて、批判や中傷を繰り返す人もいるくらいです。
その必死な様子と、サムを引きずり込もうとするBTの姿が被って見えます。

誰でも、簡単に、常につながることができる社会。
この現代社会に顕在化してきている多くの問題に対するカウンターとして、デス・ストランディングでは間接的な繋がりによって「いいね」を共有し合う世界観が描かれているように思います。

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ポジティブなメッセージに溢れ、元気付けてくれるゲーム

デス・ストランディングのプレイ画像2

まだまだプレイの途中ではありますが、このデス・ストランディングと言うゲームは、非常にポジティブなメッセージが溢れている、と感じます。
主人公サムを操って、町から町へ荷物を運び、落し物を届けると、とにかく褒められます。

「あんたはすごい」
「尊敬するよ」
「ありがとう」

世界観的には、人類が絶滅の危機に瀕している、決して明るくない状況であるにも関わらず、登場人物たちは「いいね」を送り合い、ポジティブにサムを褒めてくれる。
そこに癒され、自分自身も優しい気持ちになれる。
このギャップもまた、デス・ストランディングをプレイする醍醐味の1つになっているように思います。

NPCだけでなく、他のプレイヤーが自分の痕跡をたどってくれたり、建築したものに対して「いいね」を送ってくれるのはとても嬉しいものです。
もともと誰かのためではなく、自分自身がサムを前に進めるために作った道が、実は誰かの助けになる。
すると、次以降は気がつけば、どこに何を建築すれば人に喜んでもらえるのかを考えている。
こう言う前向きな繋がり方があるのか、と感じながらプレイを進めています。

ゲームを終えて、ふと現実に戻った時に、人とのつながりを大切に感じたり、当たり前になった物流に感謝したり。
ゲームで得た体験や気づきを、リアルに返してあげたくなる優しいゲームだ、と感じます。

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人と人は、もっと優しくつながることができる

このデス・ストランディングと言うゲームが持つメッセージの1つに、「人と人はもっと優しくつながることができる」と言うものがあるように思います。
自分のプレイが誰かのためになったり、誰かのためにプレイをしたり。
誰かの善意を受け取り、「いいね」を送り返す。

冒頭、監督のインタビューの記事を引用しましたが、現代のネット社会、SNSでは、人と人が棒で殴り合うシーンを目にすることが多くなっています。
けれど、そう言う殴り合いだけではなく、私たちはもっと優しく、繋がることができる。「いいね」を送り合うことができる。
そうしたメッセージが込められていると思います。

一通りエンディングまでたどり着いたら、また印象が変わるような気はしますが、それも楽しみにしつつ、遊んでいくことにします。
またクリア後にあらためて感想をまとめてアップしようと思います。

それでは。

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